翌19日には第一回の理事会が開かれ、「女性のためのアジア平和国民基金」(略称アジア女性基金)が正式に発足しました。7月末、原文兵衛前参議院議長が基金理事長に就任しました。
その年、戦後50年を迎えた8月15日、基金は村山総理の「ごあいさつ」と「基金」の呼びかけ人による「呼びかけ文」を全国紙6紙の朝刊に全面広告で発表しました。
その日の午前、村山総理は、閣議決定に基づき、戦後50年の総理談話(全文はこちら)を発表しました。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は…疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。 |
その日のうちに1455万円の拠金が寄せられ、月末には募金額は3778万円に達しました。募金はこの年末には1億3375万円になりました。1996年3月には2億円をこえ、4月には3億円を超え、6月には4億円を超えました。
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