金田君子さんの場合
金田さんはのちに牧師となる朝鮮人の父親と、日本人の母親との間に、東京で生まれました。生後すぐ実母と別れ、韓国へわたってからは一家離散の日々が続くなど生活は苦しく、家族愛にめぐまれない寂しい子ども時代を過ごしたそうです。
1938年、金田さんが住み込みの女中として働いていた16歳のとき、「よい働き口があるから」と知り合いに勧められ、同じようにだまされ集められた女性たちとともに、中国棗強の慰安所へ送られました。必死に抵抗して日本兵に銃剣で刺された胸の傷や、へし折られた手首の傷は、死ぬまで完全に癒えることはありませんでした。現実から逃避するために吸い始めた阿片の中毒になっていた金田さんは、1945年に治療のために任務を解かれ、生きて終戦を迎えることとなりました。
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