1990年代に慰安婦問題がおこるや、韓国政府は、元「慰安婦」を認定するための委員会を設置し、2004年現在 207人を認定しました。この人々に対して韓国政府は毎月一定額の生活資金を支給しています。すでに、この207 人中、2002年11月までに 死亡した者が72人に達し、生存者は135人、うち海外居住は2人です。 韓国政府はアジア女性基金の設立に対しては、当初積極的な評価を下しましたが、やがて否定的な評価に変わりました。被害者を支援するNGOである韓国挺身隊問題対策協議会(略称:「挺対協」)が強力な反対運動を展開し、マスコミも批判すると、政府の態度も影響を受けました。基金に対する元「慰安婦」の方々の態度は、さまざまです。アジア女性基金を批判し拒否する考えの方々もいますが、不満はもつものの、受けとるという態度の方々もいました。受けとるという考えを公然と表明したため、批判や圧力を受けた方もおり、その中にはやむをえずアジア女性基金拒否を再声明した人も出ました。 挺対協は、国連人権委員会等への訴えや各国の関係団体との連帯行動などを積極的に続けており、その活動は「慰安婦」問題が国際社会の問題となるのに影響を及ぼしたと言ってよいでしょう。挺対協は、日本政府が法的責任を認めて謝罪し、補償するとともに、責任者を処罰することを求めることに運動の重点を置きました。
【事業の実施】
―東京地方裁判所における金田君子さんの証言より(総理のおわびの手紙を受け取ったときの心情を聞かれて)
同年3月、金大中大統領が就任しました。新政府は、同年5月、韓国政府として日本政府に国家補償を要求することはしない、その代わりにアジア女性基金の事業を受けとらないと誓約する元「慰安婦」には生活支援金3150万ウォン(当時日本円で約310万円)と挺対協の集めた資金より418万ウォンを支給すると決定しました。韓国政府は、142人に生活支援金の支給を実施し、基金から受けとった当初の7名と基金から受けとったとして誓約書に署名しなかった4名、計11名には支給しませんでした。基金は6月に原理事長名で大統領に書簡(全文はこちら)を送り、基金の「償い金」と韓国政府の生活支援金は性格が違うものであり、したがって両立できるものであることを認めてほしいと申し入れました。 しかし、韓国政府は態度を変えませんでした。事業の変化がないので、基金は99年はじめ韓国での「償い事業」の中止を決断し、集団的な医療ケアの事業に転換することにし、韓国側と交渉をはじめました。 その際、すでに申請手続きをとっている被害者の方々には事業を実施することにしました。しかしこの事業の転換にも韓国側の協力がえられないことが最終的に明らかになり、99年7月、基金は転換を断念し、韓国での事業を停止状態におくことにしました。 基金の事業を受け止められた方々からは、次のようなお礼の言葉が基金に寄せられています。「日本政府から、私たちが生きているうちにこのような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした。日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました。大変ありがとうございます」 ある被害者は、基金を受け入れることを決めましたが、当初は基金の関係者には会うこともいやだという態度をとっていました。しかし、基金の代表が総理の手紙を朗読すると、声をあげて泣き出され、基金の代表と抱き合って泣き続けたとのことです。そして、自分の「慰安婦」としての 苦しみや帰国後の経験などを語ってくれました。(詳しくはこちら)日本政府と国民のお詫びと償いの気持ちは受け止めていただけたと考えております。
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