デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金
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 基金で活動した人々
 

金平輝子

アジア女性基金理事
1927年生。50年東京都児童相談所技師。81年東京都福祉局長。91−95年東京都副知事。アジア女性基金理事。2002年ハンセン病問題検証会議座長。06年日本司法支援センター理事長。

金平輝子氏
 
 

 1997年1月11日、私は、基金の理事・運営委員である高崎宗司、野中邦子、中嶋滋さんをはじめ事務局の方とソウルに入り、ソウルのホテルで5人の元慰安婦の方にお目にかかりました。何と皆さん盛装をして出席なさったのです。そこで、総理の手紙や当時の原理事長のお手紙を一人一人にお渡ししました。金田君子さんにこれが、日本の総理から、貴方へのお手紙ですとお渡ししたところ、これが、日本の総理の手紙、と言ってじっとこれをみつめておられた金田さんの目から、涙が溢れてとまらなくなりました。私は、こうやって皆様に日本の総理、理事長の手紙そして、国民から集めたお金を持ってきたことを述べました。
 「しかし、どのようにお詫びの言葉を述べ、お金を差し上げてもこの問題の犠牲になられた皆様の苦しみを償えるものではないと思います。身体的に精神的に刻まれた深い傷を、台無しにされた人生を、償えないまでもせめて、私達に出きる事はないかと一生懸命考えてきたのです。国民からも、お詫びを伝えたいと手紙がきており、持ってきました。」と言って、お手紙も読ませて戴きました。あの時、金田さんと抱き合った私は、辛い過去、消えない過去  それにも関わらず、私達の心からのお詫びを受け止めようとして下さった金田さんを始めとする五人の方々の優しさ、大きさに触れた一瞬だったと思っています。
 受け取り場所のホテルに見えなかったお二人には、野中運営委員と一緒にご自宅に一軒一軒伺い、同じようにお渡ししたのです。このお渡しが終わったあとで、高崎運営委員から“アジア女性基金のこと、韓国で事業を実施したことを韓国のマスコミに「お知らせ」という文書の形で説明しました。しかし、残念ながら、翌日私達の意を汲んで報道してくださったのは、東亜日報一紙だけで、他の新聞は、みな否定的な反応でした。
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