基金時代での全期間の中でもっとも印象的なことは、韓国人の元「慰安婦」の方との出会いです。戦争中から私のことを知っているということで、連絡してこられ、おめにかかりました。ほんとうにびっくりしました。その方は、李香蘭の映画の撮影が蘇州であるというので、兵隊さんに連れられてロケ現場に来たそうです。「あなたが桃の造花を持って蘇州夜曲をうたっていたのを、大勢の人の間から見ていたのです」とおっしゃいました。ちょうどいい枝ぶりの桃の花がなくて、スタッフが紙で桃の花を作ってくれたのですが、実際に見ていた人でなければわからない、そんなことまで覚えていらっしゃいました。
その方は15歳のとき郷里の町の道端で警察官に連行され、汽車に強引にのせられ、上海に連れて行かれ、蘇州の慰安所に入れられたそうです。そこから何度か逃げようとしたそうですが、銃剣でおなかをさされたこともあったそうです。「クレゾールを飲み死のうと思ったのですが、分量が足りなかったのか濃度が薄かったのか死ねなかった」といわれました。ロケをしている私の姿をみたのはそのころだったそうです。お話を聞き胸がいっぱいになり、「辛かったでしょ、ごめんなさいね」と心から謝りました。この方とは電話でその後ずっとお話をしていたのですが、もうお亡くなりなりました。私には忘れることの出来ない方です。
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