何しろ、五十年も前の出来事とはいえ、女性の人権を甚だしく損ない、国際的にも極めて不名誉な行為を、どうやって始末をつけるかという難問題であった。・・・これらの女性たちに対して、日本政府が、正式に謝罪し賠償を行なうという方法がとれれば、納得が得られるのであろうが、戦争終結の条約締結の際、一括して解決したとする有権解釈が存在し、後になって個々人への賠償等はすることは法律上できないというのが、政府の立場であった。この法解釈をめぐっては、反対論も多くあったが、早期に解釈変更する見通しはたたないまま、被害者はすでに老令期を迎え、あと数年の内に困窮の中で世を去っていく可能性が極めて大きいと伝えられていた。
・・・何もしないで、二十世紀を終えるわけにはいかない。政府ができないのなら、国民がおわびの気持ちをとどける方法を考えよう。何もしないより、その方がずっといいではないか。この結論に達するのに、それほど時間はかからなかった。国民からの拠金をつのるための組織を作ろうという運動の「呼びかけ人」になってほしいとの御依頼にも、抵抗なく引きうけることができた。
(全文はこちら) |