こうして私は基金との関わりを持つことになったのですが、最初に受けた精神的なショックは、和田さんと一緒に韓国の従軍慰安婦と会ったときのことです。
もちろんは、私は当時、従軍慰安婦であった方々には十分な謝罪とそれなりの補償をすべきことは当然のことと思っていました。そして補償金額も多いほどよく、そうすれば従軍慰安婦であった方々も、何程かは(百%ではないにしても)納得していただけるのではないかと思っていました。それで、予算や手続きなどのこともあり、一体慰安婦の方々に具体的な要求があるのだろうかと考え、「ところで、取りあえず私たち(基金)にどんな具体的な注文なり要望があるのでしょうか」と尋ねてみました。私は心中「コトバや補償金額の問題ではありません。日本側の誠意ある行動が欲しい」というような返事が返ってくるのでは・・・・と思ったのです。ところが、彼女たちから出てきた言葉は「何も要りません。ただ私の青春を返して下さい」という言葉でした。
私は一瞬、息をのみ、言葉も出ませんでした。この従軍慰安婦の一言が、非力な私の基金活動の源泉であり、いまもそのときのショックが明白によみがえります。
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