初めのうちは、家の改修やテレビのようなことに対しては、贅沢だとなかなか政府関係者の理解がないわけです。それで、おばあちゃんたちは、そのことで家族からせっつかれます。フィリピン人の概念で言うと、やっぱり住む所が整って、それからですよと、外見を気にします。家族のためにお金使いたがります。そんなことに使うのではなくて、病気になったときにとか自分のために使えばなどと対立します。そこら辺のギャップをどうやって埋めて、双方の言い分を仲介するか。リラやロラたちとの決定的な対立を避けるための調整は結構しました。
だけど、一度そういう理解ができると、あとは地方にソーシャルワーカーを定期的に派遣することが出来る様になりました。途中で物価が高くなって、そう頻繁に飛行機で訪問できないとか、その後も問題はありましたが、最終的には10人のソーシャルワーカー、事務員2人で医療福祉事業を実施しました。社会福祉開発省への貢献もある程度できたということで、うまくいったと思います。
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