日本とオランダの第二次世界大戦から出てきた問題については、法律上は完全に処理済みであるという立場を変えることは出来ないけれども、同時に民間人と軍人を合わせて13万人の人たち、特に民間人9万人ぐらいの人たちの戦争被害者の感情がまだ残っている(オランダの全人口は1600万人)。56年に見舞い金を出したけれども、十分な額ではなかったというようなこともあったようです。戦争から生み出された負の遺産とも言うべき問題は考えてみると容易ならざる問題で、なかなか終止符を打てるような簡単な問題ではないのですが、しかし個人の恨みのレベルは別にして、社会対社会としては、この問題をあまり大きな日蘭関係の阻害要因にしないように、一つの大きな区切りをつけることは出来ないか、という問題意識は赴任して以来常に持っていました。それも戦争が終了してすでに半世紀以上が経っているという事実を考えてみると、ますますそのような象徴的な区切りが必要になってきます。
その中では平和交流計画により被害者を日本に招待できるようになった。それから「青年交流」という新しいスキームを作り、戦争被害者の子供たち、特に高校生ぐらいの人たちを、夏休みに日本に招待することが出来ました。これも非常に良かったですね。そういうことの一環で、アジア女性基金の事業として慰安婦の問題に終止符が打てたということは、日蘭関係の中でも最もきびしい反日意識をもった人たちに対し一つの解決策を見出したという意味で、全体の日蘭関係をその後進めていく上で大きなプラスの影響を与えたのではないかと思います。
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