デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金
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 各国・地域における事業内容−台湾
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【事業の実施】  (基金担当者の回想はこちら)
 
 台湾では、アジア女性基金は、婦援会の認定をうけた被害者に対して事業を実施することを方針としました。 1996年1月、基金の対話チームが初めて台湾に赴き、婦援会を訪問して、被害者4名との懇談ができました。被害者はアジア女性基金の事業に関心を示しましたが、婦援会は国家補償をもとめるという方針のもとに、基金との接触を断つようになりました。以後、婦援会を通して被害者と会うことはできなくなりました。

 96年8月には、来日した台湾の被害者が基金から「償い金」と総理の手紙を受けとりたいという意志を表明しましたが、思いとどまるようにという 、さまざまな働きかけがなされました。

 基金は、人道的見地から基金の活動を支持し、元「慰安婦」個々人の気持ちを尊重すべきだという考えをもつ台湾の弁護士頼浩敏氏に協力していただいて、氏の萬国法律事務所を申請の受付先に指定して、97年5月台湾の有力3紙に広告を掲載し、事業を開始しました。全文はこちら)


 台湾の場合、医療福祉支援事業は一人あたり300万円分としています。これに対し、基金の事業開始後、基金に反対する婦援会が中心となってオークションを行い、その収益から被害者に一人あたり約50万元(約200万円)のお金を配付しました。そのさいアジア女性基金からは受けとらないという誓約書の提出がもとめられました。

 さらに、98年2月には、台湾の立法院の議員たちが当局を動かして、日本政府からの「補償」の立替金として、被害者一人あたりに50万元(約200万円)を台湾当局から支給することが実現されました。

 被害者たちの多くは困窮状態にあり、ほとんどの方が病気がちです。基金の償い金と医療福祉支援事業を受け取ることを希望する方々からの問合せが多く寄せられました。他方で「受取ってはいけない」という圧力を受けた被害者たちは、「もし受け取れば、生活支援金を打ち切られる」という不安を抱きました。

 基金は被害者の希望に従う、支給する場合は被害者の不安を解消し、絶対に不利益が及ばないようにする、ということを大前提として事業を進めました。慎重に、法的な裏付けをしながら事業内容を詰めていくについては、頼浩敏弁護士の存在は非常に大きいものがありました。
 

償い事業のお届け式(総理の手紙を朗読する下村理事)
 こうした困難な状況であったにもかかわらず、幸いにも、それなりの数の元「慰安婦」の方々に償い事業をお届けすることができました。そして受け取った方々からは、大変喜んでいただきました。もちろん償い金や医療福祉支援事業も被害者たちの大きな助けになりましたが、それに添えられた日本の総理のお詫びの手紙は、私たちの想像以上に被害者たちに感動を与えました。 総理の手紙全文はこちら)

 総理の手紙を受け取った被害者の方々は、手紙を胸にあてて、「生きているあいだに、このような日がくるとは思いませんでした」とか、「結局、日本人はわたしたちを裏切らなかったのですね」と、声をつまらせながら、しかし晴れ晴れとした笑顔で言いました。喜びの気持ちを即興で歌にして歌った人もいます。

 

 
総理大臣のお詫びの手紙などをお届けしたとき、Rさんには夫が付き添ってきました。Rさんは黙ってうつむいて涙を流し、夫はそのときの気持ちを即興で歌にして歌いました。どのような意味の歌詞ですかと尋ねると、「日本のみなさんがわたしの妻にしてくださった親切を忘れません。これからわたしが祈りを捧げるときには、かならず日本のみなさんの幸せをもお祈りしています」という意味だと説明してくれました。

Sさんは自分の部屋にもどるとすぐ、もう一度総理のお詫びの手紙を取り出してゆっくり読み返しました。そして、同じ被害者で長年の友人に向かって、「もういいでしょう。"ゆるしてくれ"とここに書いてある」と微笑みました。

Lさんは原文兵衛アジア女性基金理事長(当時)に会い、はにかみながら、しかししっかりとした口調で感謝の気持ちを表しました。帰り道、 「本当は天皇陛下に謝ってもらいたかったけれど、日本で三番目に偉い人(注:故原理事長・元参議院議長を指している)に会って謝ってもらったから、これで気がすみました」と言いました。

 償い金を、長年の夢であった家の修理やこれまで手が出せなかった薬の購入など、自分の生活のために使った人もいれば、子どもたちに好きなものを買いあたえるという、生まれてはじめての贅沢を味わうために使った人もいました。その一方で、最後まで「わたしこわい、こわいよ」と言い続けて、償い事業を受け取る決心がとうとうつかなかった被害者もいました。
 基金では97年以降、5回、台湾各紙に「償い事業」の説明を掲載しました。償い金を受け取っても国家補償を求めて訴訟を提起する権利を失わないことを明記したのも、総理のお詫びの手紙の全文を載せたのも、被害者本人のみならず、周囲の人たちに償い事業の内容、性質を正確に理解していただくためです。

 

 台湾の事業は5年間の申請受付を終了し、2002年5月1日をもって終結しました。
 

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