デジタル記念館慰安婦問題とアジア女性基金
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 各国・地域における事業内容−台湾
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対象国・地域 申請受付・実施期間 事業内容
台湾 1997.5.2〜2002.5.1  1) 「償い金」(200万円)
 2)医療・福祉支援事業(300万円規模)
 3)総理の手紙等
 
【背 景】

 第二次大戦後、国共内戦に敗れた「中華民国」政府が日本から解放された台湾に渡ってきました。1952年日華平和条約が結ばれ、日本と中国との間の戦争状態は終結し、「中華民国」側は賠償請求権、戦争によって生じた国及び国民の請求権を放棄することを受け入れました。日本の植民地であった台湾にかかる請求権処理のための交渉はそれとして行われることになっていましたが、長く行われず、1972年の日中国交回復と同時に日本と台湾は国交関係を失いました。

 1992年、台湾の立法院(国会に相当)、外交部、内政部、中央研究院、台北市婦女救援福利事業基金会(略称:「婦援会」)は「『慰安婦』問題対処委員会」を発足させ、この問題の調査を開始しました。同委員会の委託によりこの「婦援会」は、1)慰安婦の認定作業、2)個人情報の管理、3)当局からの生活支援金の給付代行など、台湾の慰安婦問題対応の核となる作業を一手に担うこととなりました。これが他の国とは大きく異なっていた点です。「婦援会」は日本の国家賠償を求め、アジア女性基金に対し強い反対の立場をとっていたため、被害者の方々にあたえる影響もまた、少なからぬものがありました。

 2002年4月の現地報道によれば、被害者として認定され生存している台湾人女性は36名です。その後基金の知る限りにおいてもかなりの方が他界され、生存者の数は減っています。認定された被害者には、台湾当局が月々15000元(約6万円)の生活支援金を支給しています。

 台湾の被害者も訴訟を提起しました。1999年7月、台湾「慰安婦」被害者9名が日本政府を相手取って東京地方裁判所に訴訟を起こし、1人当たり1000万円を請求しました。地裁で敗訴したのち、高裁、最高裁へと控訴を行い、2005年5月25日、最高裁において「却下・申し立て不受理」との判決をもって敗訴しました。

 また台湾の立法委員(国会議員に相当)は立法院において、1996年3月を始めとして数次にわたり、「日本政府が法的責任を認め、謝罪と賠償を行う」ことを求める署名を行っています。
 
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